まさかこのネタでまだ書くことになるとは思わなかった。3部作ですよ3部作。すげー。
まぁおかわり、ってくらいなんで深さはありませんが…
前回までのお話はコチラ(って程でもないけど)
叔父(※娘の言うひげとおじさん)の四十九日がありました。
叔父の家はお寺さんから近いこともあり、お経は自宅であげることに。
その家には私の祖母がいます。まぁぶっちゃけ要介護5です。全盲でもあります。
昔は目も見えていました。御年90才かな?大正生まれの、まさに激動の昭和を見てきたおばあちゃんです。
節目節目には、会いに行ってたのですが、ここ最近はバタバタしてたのであまり行ってませんでした。
最近食事の拒否が見られたりする、と聞いて、早く会いに行かなきゃという気持ちでいっぱいでもありました。
会いに行くと傾眠ではあるけど、なんとかギリギリ会話は出来るレベル。
「ばあちゃん。ぬーだよ(いや、流石に本名言いましたよ)、わかる?孫の。○○(母の名)の娘や!」というと口をもごもご。
「わかるよ」
涙ちょちょ切れ。
叔父の時には言えなかった、ありがとうとか、大好きとか、そんな言葉をたくさんかけました。顔を撫でました。手をさすりました。足もさすりました。
寝ちゃいました。
もう明らかに老衰していってて、という状況ではありますが、急を要する状態ではなかったことに少しほっとしたりもしたのです。
と こ ろ が 。
息子「もう死ぬから会いに来たん?」(しかも神妙な面持ち)
あまりにも短期間、と言えば短期間に続いたためか、死ぬという言葉に抵抗が無くなってる様子。
というかばーちゃんまだ死なん!!!私の希望をも含む!!!!
亡くなる前って、それが長期にかけてゆっくりか、短期に一気にかは個人差があるのですが、確かに食事の摂取量が減ったりもするんです。
その方が、負担が少なく最期の時を迎えられるとドクターから聞いたことがあります。
もしかしたらもうその道を辿り始めたのかもしれませんが、今度はいっぱい伝えて、いっぱい触れて、寧ろそれによってちょっとQOLが向上したりしないかななんて思いつつ、子どもにもう一人のひいばあちゃんとの時間を持ってやりたいと思いました。
と綺麗に〆たいけどさぁ・・・・w
「もう死ぬから会いに来たん?」って言葉はやっぱマズイやろwww
そう子どもが思わないように、普段から接しておくのが吉ですね・・・・orz